実業之富山アーカイブ

実業之富山アーカイブ

①創刊号

敗戦の翌年、戦禍を免れた高岡市の一角で小さな月刊誌が創刊された。その名も「実業之富山」——産業経済の面から、ふるさと富山の復興に寄与したいという願いを誌名に込めた。深刻な紙不足がつづくなか、地元の製紙会社の協力により用紙を確保することができた。編集後記に「日本を救ふものは経済だ、その経済に少しでも我々のやることが寄輿するなら、それだけが唯一つの喜びである」と、創刊の意図を述べている。

創刊号表紙(1946年11月号)

表紙は1色刷り、手書きのロゴと主要記事のタイトルを載せただけの、いたって質素なものである。紙の入手難もあり、本文は38ページにおさえた。

創刊号裏表紙

広告コピーの中の「平和日本建設」という言葉や、働く女性をモチーフにしたイラストに時代の空気が漂っている。

日本一の名コンビは何を語るか

悪化の一途をたどるインフレへの対応策をめぐって、石橋湛山蔵相と徳田球一共産党書記長をとりあげ、歯に衣着せぬ論評を加えている。

伏木港よ何処へ行く

日本海側有数の港湾であった伏木港は敗戦で貨物取扱量が激減、翌昭和21年春ごろからようやく上向きに転じたことを数字で示している。この記事は後年、『富山県史』の基礎資料として活用された。

近頃はやり儲け組

終戦後の映画館の盛況ぶりをとりあげた記事。戯文調の文体で、世相や経済の動きをおもしろおかしく紹介している。

編集後記

経済誌というと固い印象を与えがちであるが、創刊当初は「面白い大衆の経済雑誌といふ方向」を編集方針に掲げていた。当時の雑誌ブームの中で、一般の読者に関心をもってもらえるよう工夫をこらしていたようである。