実業之富山アーカイブ

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③事後検閲でプレスコード違反

終戦の翌年になると新興の雑誌が急増したこともあって、GHQは雑誌の事前検閲を徐々に事後検閲へ移していった。発行者がゲラ刷りを提出する必要はなくなったが、検閲を受けることに変わりはない。「実業之富山」も事後検閲でプレスコード違反に問われ、「不許可」の処分を受けた。

「実業之富山」1948年8月号表紙
(プランゲ文庫所蔵資料)

事後検閲への切り替えとともに、検閲の目的も変化していった。プレスコード違反を取り締まるという当初の目的に加え、情報源として分析・活用するという動きが出てきた。

「実業之富山」1948年8月号表紙に記された検閲記録によれば、この号は8月20日にCCD(民間検閲支隊)に届き、検閲が行われたのは1カ月後の9月20日である。違反箇所はなく「Passed」となっている。

「INF」の欄に「prepared」とあり、左上には1ページ、3ページ、21ページについてI/S(インフォメーションスリップ)を作成したとのメモ書きがある。それぞれ政党の動き、政府の増産政策、ロシア情勢について触れた記述であるが、地方誌であってもすみずみまで情報源として目を通していたことがわかる。

事後検閲で違反を指摘された1948年9月号

事後検閲の雑誌は雑誌発行後にCCDに送られ、違反がなければ差し戻されることはない。しかし、「実業之富山」1948年9月号では「最近のソ連点描」と題する寄稿がプレスコード違反に問われ、編集部はその対応に追われることとなった。

1948年9月号の検閲書類
(プランゲ文庫所蔵資料)

記録によれば、検閲局がこの号を受領したのは9月29日、検閲を行ったのは10月18日とある。「CEN(=censor)」の欄には「Disapproved(不許可)」と記されている。左上には「VIOLATION Page 18 19」と記され、主要目次としてタイトルがあげられている「最近のソ連点描」にチェックマークが付いている。



該当記事および検閲文書

プレスコード違反となったのは、「最近のソ連点描」という寄稿の中で、ソ連の女性および子供について描写した部分である。    

ソ連婦人の体格上の著しい点は、極めて大きな乳房を振り立てゝいることだと思います。而も日本婦人と異なり、真直ぐに突き出ているように見えることです。親子代々にわたる性的愛玩物としての成果(?)と判断されます。    

この文章は、ソ連および社会主義国に対する関心が高まっている折、筆者が自らの見聞をもとに、ソ連の文化や生活レベルの状況を報告したものである。女性の体型についても素朴な感想をやや卑猥ながらユーモアを交えて述べたのであろう。

違反が疑われる記述については英訳文が作成され、これをもとにアメリカ人の検閲官が判断する。disapproved(不許可)とした理由として「Criticism of Russia(ソ連に対する批判)」とある。女性や子供の外見、行動を批判的にとりあげていることが、ソ連に対する偏見を招くと判断されたようである。

不許可処分のその後

実業之富山編集部に9月号の処分が通知された頃、次の10月号が発行されるはずであった。しかし10月号が10月中に刊行されることはなく、11月10日付で第3巻10号(11月号)として発行された。雑誌の刊行が遅れたことを、最後のページの「社告」で次のように述べている。

本号を編集の都合上十一月号とし爾後毎号前月中に発行いたしますから愛読者各位の御了承をお願ひいたします。尚本月多数の建設的投書をいただきこゝに紙上をもつて厚く御礼申し上げます

「編集の都合上」遅らせたという弁明は、読者にGHQの検閲が行われていることを察知されてはいけないからである。民主主義の前提である言論・表現の自由を日本に根付かせるという建前上、GHQが自ら検閲を行っているという事実は伏せておく必要があった。黒塗りや伏せ字、空白など、検閲の痕跡を残すことも禁じていた。

創刊10周年記念号の巻頭言

発行者がGHQの検閲を受けていたことを公表するのは創刊から10年後のことである。1955年10月発行の10周年記念号の巻頭言で、発行者は次のように記している。

創刊以来四、五年間GHQの事前検閲、資材難、その他特殊の困難な要求を強えられ、加えて同人雑誌は別として、類似の刊行物も五十余に及び県下の出版界は全く戦国時代をおもわせ、経営は想像以上に困難なものがありました。しかし、よくこれらの困難を切り抜け、茲に十周年を迎えることができました。

占領期においてGHQがどのように検閲を行っていたのか、当時の雑誌発行者は知るすべはなかった。その実態がわかるようになったのは、後年、米国メリーランド大学図書館に保管されている占領期の資料群が「プランゲ文庫」として公開されるようになってからである。GHQの内部文書も大半が機密解除となり、占領期の日本を知るうえで欠かせないものとなっている。