思い出すあの頃の物価くらし
(1951年6月号)
同じ金額で何が買えるか、戦前(1932年)と戦後(1951年)で比較している。例えば1円だと、戦前は新聞1カ月分、清酒一升の支払いに使えたが、戦後はあめ玉1個、公衆電話1回分となる。戦前は100円程度で買えたタンスが、戦後は10,000円に上がっていることもわかる。ちなみにサラリーマンの平均給与は1932年が80円、1951年が8000円で、約20年間で100倍に上がっている。
実業之富山アーカイブ
数字は経済・産業・生活の実態を可視化するうえで欠かせないものである。数字から、企業や家計を取り巻く環境変化を読み解くこともできる。「実業之富山」は創刊当時から、独自の取材調査によりさまざまな統計データや取材データを掲載してきた。そのいくつかを紹介する。
同じ金額で何が買えるか、戦前(1932年)と戦後(1951年)で比較している。例えば1円だと、戦前は新聞1カ月分、清酒一升の支払いに使えたが、戦後はあめ玉1個、公衆電話1回分となる。戦前は100円程度で買えたタンスが、戦後は10,000円に上がっていることもわかる。ちなみにサラリーマンの平均給与は1932年が80円、1951年が8000円で、約20年間で100倍に上がっている。
映画館は大衆娯楽の殿堂であり、戦後の混乱期にあってもいちはやく営業を再開した。戦災のなかった高岡市の映画館はどこも盛況で、記事では1946年春からの入場人員、料金、入場税を館別、月別の表にまとめている。入場者数は当時の市の人口を超えており、市内に6つの映画館があったことも当時の映画人気を物語っている。
富山証券業協会がまとめた企業別の売買株数・金額(1954年1〜12月)を相撲番付風にランキングしている。東方が売買株数、西方が金額で、北陸電力が株数、金額とも圧倒している。上位に並ぶのは富山県経済の主力企業であり、その多くは今日まで富山に根付いて活動している。
男女別・業種別に労働日数、労働時間、給与等を一覧にしている。従業員数は男子では化学工業、機械工業、金属工業の順に多く、現在の富山県の産業構造とあまり変わらないが、女子では紡織工業が全体の8割を占めている。平均給与は男子が女子の1.8倍となっており、男子でも業種間で3倍以上の開きがある。
各企業に従業員の採用にあたって重視した条件を尋ね、業界別に表にしている。最も重視しているのは「健康」で、「思想」「学業成績」「縁故」「家庭身元」が続く。「思想」が2番目になったのは、当時先鋭化していた労働組合運動の波及を恐れていたためか。「縁故」「家庭身元」が上位にあるのも世相を反映している。